忘れじのM性感

いつになったらM性感のことを考えなくなるんだろう。そしてM性感を考えなくなった将来のぼくは人生を心から楽しんでいるのかな? それはそれでなんだか寂しい。M性感に狂っていた時期は、刺激的な毎日を存分に楽しんでた気がする。でも、全開で楽しかったのは最初のうちだけだったかな。途中からただの精神的な依存だったもんな。
それがわかっていても尚、ヤリたいと思ってしまうM性感って本当なんなんだろう?「他に楽しいことが見つかれば、その気持ちも収まるよ」って人は言うけど、M性感の楽しさはM性感でしか味わえないんだよな。まわりの先輩の中にも昔はM性感中毒だったけど、もうスッパリやめたって人が何人かいる。本当にスゴいと思う。尊敬しちゃうな。多分、本当にもう一生やらないんだろうな。結婚してるし。ところで、何年経ったら完全にやめたって言えるんだろう? 今のところぼくは2年間休憩してるだけ。完全にやめたいけど、やめたくないっていうのが正直な気持ち。何言ってるんだろ。

さっきはM性感が悪いような言い回しをしてしまったけど、ぼくにとってM性感はそれほど魅力的だったというだけのことだ。改めて言うが、M性感は究極だ。少なくともぼくにとってM性感以上のモノなどこの世に存在しない。M性感から距離を置いて2年経った今でも、「五反田」と聞くとドキッとしてしまう。やっぱり、これを機にスッパリとM性感はやめた方がいいんじゃないかな? なんてことはもちろん考える。でも全然自信がないんだよな。何かちょっとしたきっかけで、すぐに五反田に向かっちゃいそう。
はっきりいって、この2年間つまらなかったな。大好きなM性感から距離を置いたことで性欲も全然なくなっちゃったし。もちろん、2年間も距離を置けたことに対する充実感はあるし、それなりに色々なことがあって笑ったりもしてた。そんな自分に満足した瞬間だってあったけど、やっぱりあの刺激的な生活が忘れられないんだよな。物足りない。このまま距離を取り続けていれば、いつか忘れる日がくるのかな?

M性感でのアナルプレイを経験すると、回数を重ねるごとにアヌスが開発されていくのがわかる。感度が上がり絶頂を迎えやすくなるのだ。完全に開発が完成すると、1度のプレイで何度も何度も絶頂を味わうことができるようになる。ドライオーガズムの真髄はここにあると言ってもいいだろう。体力の続く限り、何度も繰り返し訪れるオーガズム。そのたびに咆哮し、最終的には泣き叫びながら最大の絶頂を味わうことができるだろう。これをアナリストは「マルチプルオーガズム」と呼ぶ。
人生は1度きりだ。通常のオーガズムの100倍とも言われるドライオーガズムを味わうことなく死んでいくのは、あまりにもったいない。変な先入観や偏見を捨て、アヌスに興味を持とう。五反田のM性感に通い詰め、マルチプルオーガズムを経験してこそ、人生を謳歌したと自信を持って言えるのではないだろうか。そこまでたどり着くと旅に出るアナリストは多い。もう帰ってこないのではと思うかもしれない。しかし安心して欲しい。そいつは必ず帰ってくる。帰ってきた時には更に性欲の深まったアナリストとして五反田のM性感に通うことだろう。

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